そこに人が集まり、そこで人が楽しみ、そこが好きになる

(株)ジーツーゲイトは「共感を呼ぶイベント」を提案します

忍者の世界展/甲賀編・上

甲賀は本当に山の中■

  本来、忍術は「修験道」から発生したものなので、伊賀も甲賀も「山の中」だったはず。
 江戸期に入って、伊賀が藤堂家の城下町となり、発展したのに対し、甲賀はずっと山間の農村として、また富山と並ぶ「薬の里」として、江戸期を過ごしました。


 伊賀上野から甲賀まで、JR線を乗り継いで30分たらず。
 伊賀は三重県で、甲賀滋賀県。別々の地域のような気がしますが、そこにすむ「忍者」にとっては山ひとつ、谷ひとつ隔てた隣町だったのでしょう。実際、このふたつの「忍びの里」の人々は、往来が盛んでした。

 「忍び働き」にも、人の貸し借りはあったはず。「伊賀忍者」と「甲賀忍者」は“敵対関係”にあった、ということは決してありません。


 甲賀は“コウガ”ではなく、「コウカ」というのが正しいようです。
JR草津線の看板には「KOUKA」とあります。ただ私にとっては、子どもの頃観ていたTV番組の影響で、やはり「コウガ」じゃなけりゃ「忍者」をイメージできないんだよナ。

 “甲賀衆は悪役!”
 これも私の勝手な思い込みです。最近DVDで新発売された『隠密剣士』・第2部の「忍法甲賀衆」から来ているのでしょうか。敵役の「甲賀十三人衆」のブキミさが、頭の中に未だに染み付いています。
 子供の時分見たテレビドラマは、後々まで尾を引くものですね。

 ■甲賀で、ナニしょ?■

  甲賀で「やらなくちゃいけない仕事」は、「伊賀で仕残したことすべて」です。それは何といっても、「展示品」の確保でした。
 
・手裏剣各種    ・忍者刀    ・クナイ    ・忍び装束    ・忍び鎧(よろい)  ・鎖帷子(くさりかたびら)    ・水蜘蛛    ・五色米(ごしきまい)   ・鍵縄    ・撒き菱    ・火矢   ・目潰し    ・その他 

 数え上げたらキリがありません。そしてもうひとつ、“これぞ、本物!”と云える、忍術秘伝書(巻物)の決定版!『万川集海』です。
 

 またしても、一切紹介状を持たない「飛び込み交渉」となりました。
 甲賀で、忍者関係の観光名所は、「甲賀流忍術屋敷」と「甲賀の里 忍術村」です。まず「甲賀流忍術屋敷」に行きました。


 「甲賀流忍術屋敷」は、

 『本物の忍者の住居として唯一現存している貴重な建物。甲賀忍者五十三家の筆頭格といわれる望月出雲守の屋敷として、約300年前の元禄年間に建てられました。外見は一般的な日本建築の住宅ですが、内部は非常に複雑な構造で、外敵の侵入に備えた数々の仕掛けや工夫が凝らされています。また屋敷内には甲賀忍術の奥義を記した甲賀流伝書(虎の巻)、手裏剣をはじめとする武器や道具類なども数多く展示。戦乱の世に活躍した甲賀忍者たちの存在を、リアルに感じることができます』   
   (「甲賀流忍術屋敷」ホームページより抜粋しました)
   ◆甲賀流忍術屋敷→→→ http://www.kouka-ninjya.com/

f:id:e-tambourine:20200702162228j:plain
f:id:e-tambourine:20200702162244j:plain
甲賀流忍術屋敷

 

 甲賀流忍術屋敷での交渉は、私にとってちょっと敷居が高すぎました。 伊賀での「元市長」の『本当は、こういうのは嫌いなんだ・・・だって、ウソだもの』という言葉がよみがえりました。
 “ホンモノ”に対する遠慮のような意識が拭い切れませんでした

 「とりあえず、撤退!」を決め込み、次の「甲賀の里 忍術村」に向いました。

『39-2.忍者の世界・展/甲賀編☆下』へと続きます。
(2004.6.10)

 

event-go.hatenablog.com

event-go.hatenablog.com

 === 「イベント雑記」という記事を、2003年から2005年にかけて書いていたメルマガに掲載していました。内容的に若干古さを感じる点はご容赦下さい。(掲載した日にちを文末に書きました)・・・こちらのブログに転記させていただきます。===