そこに人が集まり、そこで人が楽しみ、そこが好きになる

(株)ジーツーゲイトは「共感を呼ぶイベント」を提案します

オリジナル「ミステリートレインでGO」(1)

ミステリートレイン

どこに連れていかれるの?ミステリートレイン

■「バブル」と呼ばれた時代が、かつてありました■

  「バブルなんて知らないよ」と云う青年が随分増えています。
 「バブルの恩恵は、一切受けていませんから」と、どこかヤケッパチのような口調で彼らは云います。・・・そりゃそうだ。なにせ18年も前のことだもの。


 バブルのピークは1982年から1986年と云われています。
 私の会社の設立は、奇しくも1986年の7月です。
 バブルが弾けたと云っても、すぐに不況になったわけではありません。6~7年は絶好調が続きました。

 今思うと、まず百貨店からイベントが消えていきました。

 「本業回帰」などと云っていましたが、この時点では、単に出るお金を「ギュッ」っと絞った、というだけだったような気がします。
 抜本的改革を流通業が迫られるのは、もう少し後のことです


 「屋上のヒーローショー」がなくなったので、スポンサーのシフトを、流通業から広告代理店に変えました。流通業と云っても、スーパーマーケットはまだ「行け行け」の時代で、D社は新店オープンラッシュに懸けていました。
 私の会社も、広告代理店の下で随分D社の仕事を請けました。

■すべてオリジナルの「ミステリートレイン」■

  D社の仕事で、今でも想い出に残っているのは、「ミステリートレイン」です。
 旅行会社や鉄道会社が、夏休みなどに行う既製品の「あれ」ではなく、すべてオリジナルの「ミステリートレイン」です。


 スタッフ・キャスト総勢60名以上、観客約100名。搬入車両10数台、馬10数頭、貸切大型バス2台の大所帯

 まず、列車で移動しながらイベントを実施。お客様をとある駅で列車を降ろしたあとも、バスや徒歩で移動させながら、すぐその脇でキャストが芝居仕立てでイベントを演じ続ける、といった大掛かりなものでした。


 お金も随分掛けました。バブルの時代だから出来たイベントかも知れません。
 企画の目的がきちんと達成でき、その結果、利益の回収が出来たのかと問われると、まったく自信有りません。
 しかしそれ以後、イベントを仕事としていても、「あんなイベント、他に見たことない!」「それ以降もやったことない!」と自信を持って云えます。


 やる側が “面白かった!” “楽しかった!” と云えるイベントは、そうそうありません。でも終わったあと、「お金をいっぱい掛けて、力いっぱい遊んだなー」「これがテレビ番組だったら、映像で残せたのにー」と、ちょっぴり空しさを覚えたのも事実です。 
(2004.8.5)

=== 「イベント雑記」という記事を、2003年から2005年にかけて書いていたメルマガに掲載していました。内容的に若干古さを感じる点はご容赦下さい。(掲載した日にちを文末に書きました)・・・こちらのブログに転記させていただきます。===