仕事としてイベントの業務に携わっていると、どうしても狭い考え方をするようになってしまっていました。イベントを「受身のサービス」として捉えると、それはデパートや、スーパーのチラシに書かれたものでしかなくなってしまいます。
『もっとイベントを広義に捉えて考えていこう!』云うのが今回の趣旨です。
家庭で、地域で、また職場で、仕組みと仕掛けを工夫して、『楽しいイベント』をたくさん実現していきましょう。
あなたが“ディレクター”となって、リードしてください。お手伝いします。
もちろん、「商業イベント」も“守備範囲”です。こちらのほうは、具体例を挙げて、それにお答えする形式で今後進めてまいります。
■「お出かけ」以外にも家族で行うイベントがあります■
前回は「お出かけ」に関して書きましたが、家族で行うイベントは他にもたくさんありますね。一般的なところで親(大人)の立場で見てみると、
・子供の「七五三」や、「誕生日会」、「運動会」、「成人式」・・・
・家族で祝う「クリスマス」、「お正月」・・・
・親戚や友人の「結婚式」や、「お葬式」・・・
今では盛大に祝うことも少なくはなりましたが、「四季の移り変わり」に関するいろいろな年中行事もありました。すぐに思いつくのは、節分の「豆まき」や、雛祭り(桃の節句)の「雛人形の段飾り」、子供の日(端午の節句)の「鯉のぼり」「菖蒲湯」等。
●こうして見ていくと、家庭(社会)における習俗としてのイベントは大きく2つに分かれます。
1. 人の一生の中の区切りとしてのイベント
・・・宮参り、七五三、初節句、成人式、結婚式、葬式、その他
2. 年中行事としてのイベント
・・・誕生日会、運動会、クリスマス、お正月、節句、 その他
最近では「冠婚葬祭」と云うと、結婚式とお葬式しか思い浮かべませんが、本来の意味では、「元服」(成人式)と「祭礼」(神様や先祖を祀ること)の2つが加わったものでした。
■伝統行事の「仕来たり」は「親から子へ伝える日本の文化」です■
「仕来たり」はだんだんと薄れていくもの。合理的で楽しい「仕組み」は残り、面倒なもの、意味不明なものは消えていくのでしょう。親として、どうしても伝えていきたいイベントだけが残ります。
●さて身近な例ですが、我が家のお正月仕度は、随分と省略したものになってきました。
・年賀状はクリスマス前から始めて、29日までかかってしまいました。
・餅は当然スーパーで。九州出身者としては「丸餅」がほしかったのですが、手に入りませんでした。『お雑煮は丸餅で』と妻は主張しましたが。
・大掃除は29日。私としてはとっても億劫でしたが、妻の主導で。済んでしまえば、やはり気持ちがいいものです。
・以前は、車や自転車に松飾りを付けましたが、いつから止めてしまったか? 「最近は松飾りも高くて・・・。100円ショップで売ってる?」
・以前は小さな丸餅を2個重ねて、メインの鏡餅とは別に、トイレや炊事場に置いたものでした。丸餅が手に入らなかったので今年はナシ。
・お屠蘇はほんのちょっぴり作りました。元旦の朝、いやがる子供に飲ませたものです。だって、「文化」だもん!
・おせち料理は、単品でスーパーから買ってきて、妻が「紅白」を見ながらお重に盛り付けました。数の子といくらは貰い物がありました。
・「紅白」が終わって、年が改まり、除夜の鐘をテレビで聞いて外に出ると、ちゃんとホンモノの除夜の鐘が聞こえました。その足で家族そろって近所の八幡様に初詣しました。
こうして見てくると、結構「段取り」と「仕込み」を考えてやっているな、と感じます。また、多分私の親が大切にしていたことを、ばっさりと切り捨ててきているのを実感します。それはそれで、いいのではないか。
来年の正月、復活する項目がおそらくあることでしょう。それは気分です!
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■さてこれを、“商業イベント”に置き換えて考えてみましょう■
年中行事や季節歳時を扱ったイベントは、デパートや、スーパーで“受けのいい”イベントのひとつです。それは、若者からお年寄りまで、日本に生まれ育った人ならば、共通のベースとして持っている「日本の文化」だからでしょう。
「お正月」、「節分」、「バレンタイン」、「雛祭り」、「こどもの日」、「敬老の日」、「文化の日」、「クリスマス」は、イベントとして成立しやすく、共感も得られやすいでしょう。
イベントには「見るイベント」と、「参加するイベント」があります。
参加型のイベントは、イベントとして上位に位置付けられます。喜んで参加する(させる)ことは、案外難しいものです。
お客様の側に共通認識があると、ハードルが低く、参加性が上ります。
経費をそれほど掛けなくても「見栄えのする」イベントに仕上げることができます。