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(株)ジーツーゲイトは「共感を呼ぶイベント」を提案します

ハルミの想いで

ハルミの想いで(1)■

 ハルミは「晴海」と書きます。
 女性の名前ではなく、銀座からバスで15分ほどのところにある地名です。1996年までそこには東京国際見本市会場がありました。


 私がよく仕事で晴海に通っていたのは、15、6年前のこと。家から私鉄に乗って新宿で降り、地下鉄丸の内線に乗り換えて銀座に出ます。さらにバスに乗り換えて晴海に行っていました。約2時間半。

 当時はバブルの真最中で、いまでは考えもつかないような、華やかな展示会が常時行なわれていました。スレート葺きの、急ごしらえの建物が6つほどあり、建て加えていったため(?)、それぞれバラバラのかたちをしていました。大きな古い体育館のようなもので、エアコンは一切なく、冬は凍え、夏は蒸し焼かれました。

 日本に初めて「イベントコンパニオン」という職業が、本格的に登場したのは、多分1970年の大阪万博の時。それから約15年以上を経て、「コンパニオン」も随分と“こなれて”、大衆化していました。

 東京駅発・銀座経由・晴海行きのバスは、朝8時台は5分おきに発着するのですが、どのバスもコンパニオン満載で、300%の乗車率。しかもコンパニオンがほぼ90%を占め、男は肩身の狭い思いで乗っていました。コンパニオンは、みんな20前後で、大学生か、今で云うフリーター(当時は家事手伝い)。たまにOLというのもいました。

 バスの中は、顔見知り同士の黄色い声が飛び交い、多種多様の香りに満ちていました、むせる程に・・・。私も当時は当然若く、同じバスに乗っていて、可愛い娘にどうしても目がいってしまいます。
 でも目が合っても、にらまれることはなくて、どこか「これから同じ仕事場にかよう仲間同士」といった風がバスの中に流れていたように思います。
(2003.6.26)
=== 「イベント雑記」という記事を、2003年から2005年にかけて書いていたメルマガに掲載していました。内容的に若干古さを感じる点はご容赦下さい。(掲載した日にちを文末に書きました)・・・こちらのブログに転記させていただきます。===

■ハルミの想いで(2)■

 

 当時、展示会(ショー)の終了時間は午後5時が一般的だったように記憶します。終了10分前になると、パチンコ屋と同じ理由で「蛍の光」が流れます。
 すると、まるで示し合わせたように、各ブースでコンパニオンが通路に向かって1列に並び、大阪万博で確立された「コンパニオン立ち」(斜に構えて立ち、片足を斜めに添える)で、退場されるお客様に一斉におじぎをします。

 大手の会社が出展しているブースは、まるでコンパニオンの数と容貌を競うように、どこもこの決め事を守ったものです。
 近頃では、このスタイルはかなり薄れてきていますね。コンパニオンが随分と大人っぽく見えて、華やいでいて、なかなか良かったのになあ。実態は、20歳前後の大学生なのに。

 5時に音楽が消え、最後にもう一度深々と一礼して終了。すぐにブース全体の終礼が始まります。
 終礼での、スポンサー・エライさんの締めの決まり文句は、「今夜はゆっくりと風呂に浸かり、足を休めて、深酒せずに、早めに休みましょう。風邪に気を付けて、あと2日間、頑張りましょう。」・・・です。10人中7人、そうでしたね。
  ◇    ◇    ◇
 さてこれで、コンパニオンは着替えれば帰れる訳ですが、各ブースの更衣室は極端に狭い。展示スペース最優先なので、仕方のないことなのですが。
 そこでコンパニオンは交代で着替えます。着替え順は、先輩か後輩か、いじわるorお人好し、武闘派か維新派か等、すべて力関係がそこにあったのでしょうが、私はその辺のところ、全然、よく知りませ~ん。
 ダッシュで着替え、ダッシュでバス停に走ります。帰りのバスの大混雑が待っているからです。
(2003.7.3)
=== 「イベント雑記」という記事を、2003年から2005年にかけて書いていたメルマガに掲載していました。内容的に若干古さを感じる点はご容赦下さい。(掲載した日にちを文末に書きました)・・・こちらのブログに転記させていただきます。===
 
■ハルミの想いで(3)■

 ハルミは「晴海」と書きます。そこには晴海国際展示場がありました。
 「幕張メッセ」や、「東京ビッグサイト」が、まだできる前のお話。


 着替えを終えたコンパニオンはダッシュでバス停に駆けつけます。
 大きなショーだと、1日に何万人という来場者があります。
午後5時半過ぎの晴海展示場の人口は、ショーの関係者と、来場者の居残り組で、1000人は下りません。1台のバスにぎゅうぎゅうで100人乗っても、10数台。5分おきにバスが来たとしても、最後のほうだと1時間待ち。

 ヒールで1日立ち尽くめの足は、悲鳴をあげています。
 「早く帰りたい、でも絶対座って帰りたい!」という、相反する想いのその板挟みで、「もう、歩いて帰る!」という人と、「座れるバスが来るまで絶対乗らない!」という人に分かれます。そのため、バス停には長蛇の列ができているのに、釣り革にぶら下がって帰るつもりなら、案外バスは、すいていたりするのです。

 さて、「歩いて帰る組」に私も何度か参加したことがあります。
 何百人という疲れ切った若者たちが、狭い舗道を2列縦帯で、うつむきがちに銀座をめざして歩きます。あまりにひとときに、どっと舗道に繰り出したため、前の人との間隔は詰まり、40センチもない程でした。ひたすら他人のつむじを見つめて、もくもくと歩きます。
 
 「ねえ、これって小学校の頃やった“小さく前にナラエ”に似てな~い?」
 
 そんな声が後ろを歩くコンパニオンのグループから聞こえてきました。カチドキ橋を抜け、左手に築地の魚河岸、右手に本願寺を見ながら進むと、やがて右手に巨大な由緒ある銭湯のような建物が見えてきます。歌舞伎座です。
ここまで来れば銀座1丁目の交差点はすぐそこ。約30分の下町名所めぐりが終ります。
 
 ---★付記★---------------------------------
  展示会が終了し、コンパニオンたちが出て来ると、どこからともなく男の子たちが展示場の裏手の道路に、自慢の車をつらね集まってきます。
 お目当てのコンパニオンが近づくと「おつかれさま」と、ドアを開け、やさしい笑顔で出迎えます。
 同輩にいい顔をしたいコンパニオンは、仲間を2~3人後ろに従えて、「いいの、いいの。気にしないで。カレって訳じゃないから」
 
 ああ、すでにこの頃から“アッシー君”は晴海に登場していたのです。
(2003.7.10)

 === 「イベント雑記」という記事を、2003年から2005年にかけて書いていたメルマガに掲載していました。内容的に若干古さを感じる点はご容赦下さい。(掲載した日にちを文末に書きました)・・・こちらのブログに転記させていただきます。===